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東京高等裁判所 昭和38年(う)659号 判決

被告人 石川国蔵

〔抄 録〕

検察官の控訴趣旨は、原判決が本件業務上失火の公訴事実は、犯罪の証明がないとして、被告人に対し無罪の言渡しをしたのは、採証の法則を誤り、措信すべき証拠を信用せず、措信すべからざる証拠に惑わされた結果、事実の認定を誤つたものであるというにあり、これに対する弁護人等の答弁は、原判決は正当であつて、何ら事実誤認の廉はなく、検察官の主張は理由がないというに帰する。

よつて、記録を精査し、当審における事実の取調べの結果をも参酌して、その当否並びに本件公訴事実を認むべき証拠の有無を、以下に検討する。

一、被告人の業務および業態

原審第一回公判調書中の被告人の供述部分、被告人の検察官に対する各供述調書(二通)、石川しげの検察官に対する供述調書、原審第五回公判調書中の証人関谷喜美男の供述部分、関谷喜美男の検察官および司法警察員に対する各供述調書(各一通)、赤木源三郎の検察官に対する供述調書、検察事務官の昭和三七年一月一六日附電話筆記と原審裁判所の検証調書に、当審第六回および第八回各公判調書中の被告人の供述部分、当審裁判所の証人関谷喜美男に対する各尋問調書(二通)と当審裁判所の検証調書とを綜合すれば、被告人は土木建築業を営む興国建設有限会社の代表取締役社長であるが、その妻しげが昭和三〇年四月一六日当局の許可を受け、茨城県水戸市西原町三、二六八番地で公衆浴場「茂の湯」を開業するに際し、被告人は三段式横ボイラー(元罐三度返り型)を据えつけ、これに高さ約二三メートル、外口径最下位部約一・二メートル、同最上位部約〇・三メートルのコンクリート製丸型煙突を設計構築し、開業後も右浴場経営の責任者として、営業上の重要事項の運営と指揮監督に当り、燃料等の仕入れはもとより、右煙突等についてもその管理、補修および保全等の業務に従事して来たことが明らかである。

そして、前顕原審第一回公判調書中の被告人の供述部分、被告人の検察官に対する各供述調書、石川しけの検察官に対する供述調書、原審第五回公判調書中の証人関谷喜美男の供述部分と関谷喜美男の検察官および司法警察員に対する各供述調書に当審第六回および第八回公判調書中の被告人の供述部分、当審裁判所の証人関谷喜美男に対する各尋問調書と当審第九回公判における証人田中松雄の供述とを綜合すれば、右茂の湯は、月一回の浴場定休日および臨時休業日以外は、連日営業し、浴場用の湯を沸かすため、火夫として関谷喜美男を雇い入れ、毎日八時間位に亘つて、前記ボイラーのかまどで、燃料として多量の南京豆がらやおが屑等を焚かせて使用していたことが認められる。

二、公衆浴場経営責任者としての被告人の注意義務

被告人は、捜査の段階以来原審を経て当審に至るまで、右茂の湯の煙突は、一週間か一〇日に一度位その下部を掃除すれば煤がたまつたり火の粉が出たりすることはないような構造になつている旨弁解し、その妻しげおよび火夫関谷喜美男の各供述にもこれに副うような個所が見えないわけではないけれども、かかる証拠部分は、前顕赤木源三郎の検察官に対する供述調書、原審第六回公判調書中の証人関谷喜美男の供述部分、被告人の当審第八回公判調書中の被告人の供述部分、当審裁判所の証人関谷喜美男に対する昭和三九年六月三日附尋問調書並びに当審第九回公判における証人鈴木忠雄および同寺門正男の各供述に照らして指信し難く、却つてこれらの諸証拠によれば、右茂の湯の煙突といえども、煙突である以上、その掃除を怠るときは、矢張り、長期間のうちには、次第に、その内部に煤が附着堆積するに至るべきことが肯認され、司法警察員の実況見分調書と原審裁判所の検証調書に当審裁判所の検証調書と当審第九回公判における証人寺門正男の供述とを綜合すれば、該浴場附近には木造家屋の住家および店舖が密集していることが明らかであり、前顕諸証拠並びに当審における鑑定人塚本孝一の鑑定書および当審第四回公判調書中の証人塚本孝一の供述部分によれば、右のような場所にある浴場で、強風時に右のようなボイラーのかまどで火を焚くと、煙突内の煤が加熱せられ、発火して煙突の上部から吹き出し、これに伴い、南京豆がら等の燃料も火がついたまま煙突に吸い込まれて同様煙突から吹き出し、以上が火の粉となつて附近に飛散し、近くの木造住家等に落下して火災の発生する虞れがあることが察知できる。

従つて、煙突の管理者としては、随時煙突の掃除を行つて煤を除去すべきはもとより、燃料の選択にも意を配り、特に強風時にはかまどの使用を中止するとか制限するとかして煙突の飛火による火災事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があることはいうをまたないところである(消防法第三条ないし第五条、昭和二七年八月二二日水戸市火災予防条例第三条・第五条・第九条・第三四条・第三五条および最高裁判所昭和三二年(あ)第一、八九三号・同三四年一二月二五日第二小法廷判決・刑集一三巻一三号三、三三三頁以下参照。)。

三、被害者檜山文男方家屋

原審第二回公判調書中の証人檜山文男および同栗林百合子の各供述部分、同第四回公判調書中の証人檜山みつ江の供述部分、司法警察員の昭和三六年四月五日附実況見分調書、原審裁判所の検証調書と日動火災海上保険株式会社水戸支店の昭和三七年六月一五日附保険契約の明細の件送付書に当審裁判所の検証調書を綜合すると、本件火災による被害者檜山文男方は、水戸市上水戸町三、二九九番地上に、県道に面し北西に向つて建てられた当時間口約一一・一メートル、奥行約六・一五メートルの概ね三角形の可なり古い木造瓦葺二階建住宅店舖建坪延四四・六二八坪で、附近は二階建木造家屋の多い商店街であり、茂の湯の煙突から直線にして略ぼ東北東西六メートル位の地点にあつて、屋根の瓦は波型瓦で、瓦と瓦との間に隙間があり、屋根のうちには、瓦の部分の下にトタン葺の部分が継ぎ足された個所があつて、その境目には瓦と瓦の間よりも大きい隙間があいており、屋根の下には杉皮が敷かれており、檜山文男および同みつ江夫婦と女中栗林百合子が居住し、履物商の傍らコロツケ等の惣菜の販売をしていたことが明らかである。

四、昭和三六年四月四日における水戸市の気象状況

水戸地方気象台長の昭和三六年四月八日附気象資料の照会について(回答)と同気象台長の同年一〇月二三日附気象観測資料送付方依頼の件(回答)に同気象台長の昭和三八年一月一六日附平均湿度について(回答)を綜合すると、水戸市の四月における平均風速は毎秒三・五メートル、平均湿度は七二%であるのに、昭和三六年四月四日同市では午後一時頃から風速毎秒一〇メートル以上の風が吹き出し、午後六時頃までは南の風であつたが、午後七時頃から南々西の風に変り、風速も毎秒一三メートルとなり、午後八時頃には当夜の最高風速一七・三メートルに達し、以後多少衰えたとはいえ、午後九時には一六・七メートル、午後一〇時には一四・二メートルの強風が吹き、湿度は午後五時から九時までは五八%、午後一〇時には五五%であり、午後一時には、陸上で風速毎速毎秒一二メートル以上の場合に発せられる強風注意報が発せられ、同三時一五分頃には、風速毎秒一〇メートルで一時間以上続く場合または最小湿度四〇%以下実効湿度六〇%以下で風速毎秒七メートルとなる場合に発せられる火災気象通報が通知され、翌五日午後四時三〇分に至つて漸く強風注意報が解除されたことが明らかであつて、当日の水戸市は正に火災発生の危険がある気象状況にあつたことを窺うことができる。

五、当日における被害者方の火気状況

第一審第二回および第四回各公判調書中の証人檜山文男、同檜山みつ江、同栗林百合子および同市毛俊二の各供述部分に当審裁判所の証人檜山文男、同栗林百合子および同市毛俊二に対する各尋問調書を綜合すれば、当日被害者方二階では電気炬燵など一切使用しておらず火気は全くなかつたこと、同家階下では店舖で重油バーナーを使つて午前一一時頃から約五〇分間商売用のコロツケ等を揚げ、午後六時過ぎ頃から七時頃まで女中栗林百合子が勝手場の上に約四〇センチメートルの台を置き、その上で石油コンロを使用したがいずれも完全に消火しており、その他に火気はなく、夕食後午後七時頃から檜山文男は近くの藤田信他方にテレビを見に行つており、文男の妻みつ江は当日午前中から外出していたことおよび同家電気の安全器等にも何ら故障はなかつたことが明らかである。

六、被告人方浴場の煙突の火の粉

原審第一回公判調書中の被告人の供述部分、被告人の検察官に対する各供述調書、石川しげの検察官に対する供述調書、原審第五回公判調書中の証人関谷喜美男の供述部分、関谷喜美男の検察官および司法警察員に対する各供述調書、原審第二回および第四回各公判調書中の証人檜山文男および同栗林百合子の各供述部分、同第二回公判調書中の証人黒沢昌三郎および同海野千代の各供述部分、同第三回公判調書中の証人藤田信也および同小田倉利弘の各供述部分と同第五回公判調書中の証人鈴木良治の供述部分に当審第八回公判調書中の被告人の供述部分と当審裁判所の証人関谷喜美男、同檜山文男、同栗林百合子、同藤田信也、同鈴木忠および同鈴木良治に対する各尋問調書とを綜合すれば、被告人方浴場茂の湯では、煙突を設置して以来六年間一度もその掃除をしておらず、当日もいつものとおり午後〇時三〇分頃から火夫関谷喜美男がボイラーのかまどで南京豆がら、おが屑等を燃料として火を焚き始め、前記のように風が強いのに、焚き続けた結果、同日午後七時三〇分頃には、その煙突から、人目により、大きいのでは野球のボール位、鶏卵大、親指大または五センチメートルないし八センチメートルと見られ、道路に落ちると、飛び散り一五秒ないし二〇秒位赤くなつていて約一メートルは転がるような火勢の強い火の粉が飛び出したため、附近一帯の住民は、この状況に火災発生の危険を感じ、路上や屋根に水撤きをすると共に、消防署に出動を要請したが容れられないので、檜山文男、海野千代および鈴木良治等が半ば喧嘩腰で消防署に電話をかけたが、同署では、現実に火災の発生がなければ出動できないとの理由で、遂いに市の公設消防車は出動しなかつたけれども、水戸市第七分団の民営消防自動車が出動して警戒体制に入つたこと、午後八時頃には関谷喜美男が他人からかまどの火を止めて呉れといわれて焚口を密閉したものの一向にその効果がなく、依然として右煙突の火の粉は檜山方やその隣りの田仲金属工業株式会社の屋根に落下しており、同会社社員黒沢昌三郎が庭や物干台から右会社および檜山方の屋根等に手押ポンプで約三〇分間に亘り撒水したこと並びに午後九時頃に至つてもなお附近の屋根に火の粉が落ちていたことが窺われ、被害者檜山文男方等は極めて危険な状況にあつたことが明らかである。

七、発火地点

この点に関し、原判決は、「最も重要な本件の発火点が檜山文男方二階押入れ附近の天井であつたとする検察官の主張を支える証拠を減殺し、天井ではなくその下の同押入れの中から発火したのではないかと疑わしめるものがある。」と判示して、本件発火地点は、檜山文男方二階押入れの中であるかの如く疑つているけれども、前示司法警察員の実況見分調書と原審第二回および第四回公判調書中の証人市毛俊二の供述部分に当審裁判所の証人市毛俊二および同大貫実に対する各尋問調書、当審における鑑定人塚本孝一の鑑定書と当審第四回公判調書中の証人塚本孝一の供述部分とを綜合し、焼燬の個所、程度並びに方向等から考察すると、本件火災における発火点は、檜山文男二階南側屋根、西南端より二・三五メートル位頂点より二・四五メートル位、下方より四・五メートル位の地点、屋根瓦下の野地板上にある杉皮附近であることが窺われ、右認定に牴触するような原審第六回公判調書における証人関谷保の供述部分および当審裁判所の同証人に対する尋問調書中の記載は、前顕諸証拠に照らし措信し難いところであり、この点において原判決には判決に影響を及ぼすべき事実の誤認があるものといわなければならない。

八、発火原因

この点に関し、原判決は、「発火原因も本件煙突の飛火であるとする検察官の主張を根拠に乏しいものとし、却つて何人かの工作によるものではないかとさえ疑わしむるに足る事情があるとする証言が、多数の証人から現われ、而もその大部分は検察官申請に係る有力な証人の証言として現われて来て居る始末であり、他にこれらの証言の価値を否定し去るだけの証拠はない。」と判示して、本件火災の原因は放火であるかの如く疑つているところ、記録によると、本件で右のような証言をしているのは原審および当審における証人藤田信也、同峯岸昌太郎、同関谷喜美男、同関谷保および同石川勝雄並びに原審における証人小田倉利弘等であるが、同人等が本件火災を放火と疑つている理由は、檜山文男方では本件火災以前にも幾度か小火程度のものが出ていることおよび同人方では多額の火災保険に加入していること等にその根拠があるものの如くである。

そこで、その当否につき案ずるに、原審第二回および第四回各公判調書中の証人檜山文男および同檜山みつ江の各供述部分、同第五回公判調書中の証人関谷喜美男および同鈴木良治の各供述部分と検事山辺力の昭和三六年一〇月二六日附電話筆記に当審裁判所の証人檜山文男、同鈴木良治および同関谷喜美男に対する各尋問書を綜合すれば、檜山文男方では本件火災以前に、一〇年位前の朝方と八年位前の深更および昭和三五年八月三一日の昼前の三回、本件火災発生の翌々日たる昭和三六年四月六日の午前八時二〇分頃に一回、小火程度のものを出していることは事実であるが、前三者はいずれも石油コンロ、炬燵または七輪の火の取扱い上の不注意に原因する偶発的な小火であり後者は本件火災の残火処理が不完全であつたことに原因するものと認められ、本件火災前後における右のような諸小火があつたことを以つて直ちに本件火災が放火であるということが理由のない憶測に過ぎないことはいうまでもないところである。

また、第一審第二回公判調書中の証人檜山文男および同檜山みつ江の各供述部分、日動火災海上保険株式会社水戸支店の昭和三七年六月一五日時檜山文男に関する保険契約の明細の件と鈴木検察事務官の昭和三六年一二月一三日附火災保険についての回答電話筆記に当審裁判所の証人檜山文男に対する尋問調書を綜合すれば、檜山方では一〇年位も前から日動火災海上保険株式会社と火災保険契約を締結しており、保険会社は右日動火災海上のみであること、本件火災当時檜山方では檜山文男と有限会社檜山産業の両名義で合計金一、五一二、五〇〇円程度の火災保険契約を締結していたが、本件火災による現実の損害は建物、商品および家財道具の損害を合わせると約金一、六〇〇、〇〇〇円に達しており、右保険金額は決して不当な額とはいえないことおよび当時檜山方で特に営業資金その他に困つていたというような事情もないことが窺われ、本件火災を以つて保険金詐欺を目的とする放火とみるべき何らの理由もなく、檜山方で火災保険に加入していたことを以つて本件火災が放火であるということもまた理由のない憶測を出でない。

その他、前記原審および当審証人関谷保、同石川勝雄、同関谷喜美男、同小田倉利弘、同峯岸昌太郎および同藤田信也の各供述内容を仔細に検討しても、本件を放火とする右各証言は特に信用性があるとは見難く、証拠の証明力は裁判官の自由な心証に委ねられるものであるとはいいながら、原審判決の証拠判断には到底左担できない。

原判決は、「本件火災の起つた翌日に司法警察員市毛俊二が行つた実況見分の調書には、その立会人檜山文男は、『外に出て南方志げの湯からの煙突の火の粉が飛んで来るので危いと思いながら警戒していた。そのうちにくさいと思つて駈け込んで来た時は、この附近から火が出ていた。この瓦の隙間からでも火の粉が入つたのではないかと思う。』と説明した旨が記載されているが、右檜山文男が自宅がくさいと思つたときは、自宅の外囲りだけを調べて歩いたに過ぎず、その後一時間位時間が経つてから火事だと騒ぐ声を聞いて初めて駈け込んだものであるとは、右檜山文男及び当時檜山方にいた唯一人の人物である同家の女中栗林百合子が共に当公廷において証言するところであつて、かくの如き重大な事項について檜山文男の供述には前後の食違いがあり、従つてこの一点からだけでも右両名の証言にはたやすく措信しがたいところがある。」と判示して、原審証人檜山文男および同栗林百合子等の各証言には深い疑いを投げかけているけれども、同証言の内容を仔細に検討し、当審ならびに原審で取り調べた他の諸証拠と対比して考えると、同人らは何ら先入の既成観念に捉らわれることなく、極めて自然に供述していることが看取せられ、原判決のいう如く信憑性のないものとは到底考えられない。

却つて、前顕諸証拠によつて窺われる前記のような当日の気象状況、被害者方家屋の位置、構造および火気の状況、被告人方煙突の火の粉の発散および飛散の状況と発火地点に前示当審における鑑定人塚本孝一の鑑定書と当審第四回公判調書中の証人塚本孝一の供述部分とを併せ考えると、本件火災は、被告人方浴場の煙突から飛散した火の粉が、被害者檜山方家屋二階南側屋根の瓦の隙間から瓦の下に入り込み、杉皮等の可燃物に附着して燃え始め、徐々にその附近に燃え移つた末、同家二階押入れ附近の天井から火を発したことによるものと認めるのが相当であり、この点においてもまた原判決には判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があるものといわなければならない。

九、火災の結果

原審第二回および第四回各公判調書中の証人檜山文男、同檜山みつ江および同栗林百合子の各供述部分、司法警察員の昭和三六年四月五日附実況見分調書、原審裁判所の検証調書と日動火災海上保険株式会社水戸支店の昭和三七年六月一五日附保険契約の明細の件送付書に当審裁判所の証人檜山文男および同栗林百合子に対する各尋問調書と当審裁判所の検証調書を綜合すると、檜山文男方では当日午後九時頃に発生した本件火災により同家二階が半焼し、家屋・商品および家財道具等合計約金一、六〇〇、〇〇〇円の損害を被つたことが明らかである。

してみれば、本件公訴事実については当審で調べた証拠を参酌すればもとより、原審で取調べた証拠のみによつても既に犯罪の証明があつて、被告人に業務上失火の責任があることは極めて明らかであるのに、原判決が犯罪の証明がないとして被告人に対し無罪の言渡しをしたのは失当であつて、論旨は理由があり、原判決はこの点で到底破棄を免れない。

よつて、刑事訴訟法第三九七条第一項により原判決を破棄し同法第四〇〇条但書に則り、当裁判所において自ら更らに次ぎのように判決をすべきものとする。

(罪となるべき事実)

被告人は土木建築業を営む興国建設有限会社の代表取締役社長であるが、その妻しげが昭和三〇年四月一六日所定の許可を受け、茨城県水戸市西原町三、二六八番地で公衆浴場「茂の湯」を開業するに際し、三段式横ボイラー(元鑵三度返り型)を据えつけ、これに高さ約二三メートル、外口径最下位部約一・二メートル、同最上位部約〇・三メートルのコンクリート製丸型煙突を設計構築し、開業後も、右浴場経営の責任者として、営業上の重要事項の運営と指揮監督に当り、燃料等の仕入れはもとより、右煙突等の設備についても、その管理、補修および保全等の業務に従事していた。

右浴場は、月一回の浴場定休日および臨時休業日以外は、連日営業し、浴場用の湯を沸かすため、火夫として関谷喜美男を雇い入れ、毎日約八時間に亘り、右ボイラーのかまどで、燃料として多量の南京豆がらやおが屑等を焚かせて使用していた。

従つて長期間のうちには、次第に煙突の内部に煤が附着堆積し、強風時にかまどで火を焚くと、右煤が加熱せられ、発火して煙突の上部から吹き出し、これに伴い、南京豆がら等の燃料も火がついたまま煙突に吸い込まれて同様煙突から吹き出しこれらが火の粉となつて附近に飛散し、近くの木造住家等に落下して火災の発生する虞れがあることは十分予測されるところである。

されば、煙突の管理者としては、随時煙突の掃除を行つて煤を除去すべきはもとより、燃料の選択にもよく意を配り、特に強風時にはかまどの使用を中止するとか制限するとかして、煙突の飛火による火災事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務がある。

しかるに、被告人は、これを怠り、煙突の設置以来約六年間一度も煙突の掃除を行わず、相当量の煤が煙突の内部に附着堆積していた状態の下に、昭和三六年四月四日午後〇時三〇分頃から右関谷をしてかまどで火を焚かせたが、右時刻頃には既に風速毎秒一〇メートル位の南風が吹き、午後一時頃には水戸気象台より強風注意報が発せられ、午後三時一五分頃には火災気象通報が伝えられて、強風と火災発生の危険がある気象状況にあつたにもかかわらず、漫然そのまま火を焚かせ続けていた。

そのうち、風はますますその強さを加え、午後七時頃には南南西の風、秒速約一三メートル、午後八時頃には同方向の風、秒速約一七・三メートルに達した結果、煙突内の煤が加熱されて発火し、午後七時三〇分頃よりは、それが火のついたままの南京豆がら等の燃料と共に、火の粉となつて、煙突の上部から発散し始め、右強風に吹かれてその風下に近く、右煙突の東北東約四六メートルの地点に在る同市上水戸町三、二九九番地履物商兼惣菜販売業檜山文男の所有にかかり同人およびその家族が現に居住する木造瓦葺二階建家屋建坪延四四・六二八坪およびその附近に落下して飛散し、右家屋二階南側屋根の瓦の隙間から火の粉が瓦の下に入り込み、杉皮等の可燈物に附着して燃え始め、徐々にその附近に燃え移つた末、同日午後九時頃同家二階押入れ附近の天井から火を発し、同家二階を半焼させて約金一、六〇〇、〇〇〇円の損害を与え、以つて火を失し人の現住する建造物を焼燬したものである

(飯守 斉藤 竜岡)

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